応援メッセージ

2016.06.02

なかたに皮ふ科クリニック 中谷友美 先生

富山市で皮膚科を開業して8年、医師になってからは20年がたちました。多くの女医さんたちがそうであるように、私にも色々な分岐点がありました。

最初は娘がおなかにいた皮膚科医4年目。金沢大学勤務時、夫が国内留学で九州へ行くことに。休職して九州で出産するのか、別居してがんばるのかの分岐点。結局は金沢から地元富山に転勤し、実家の助けを借りながら仕事を続けたこと。その後九州から帰ってきた夫と、2年ほどは金沢で一緒に暮らしましたが、今度は私に富山への転勤話。娘に1年ごとの引っ越しをさせる生活にちょうど思い悩んでいた頃でしたので、思い切ってまた夫と別居して富山に定住することにしたこと。そして8年前、勤務医を辞めて地元での開業を決めたこと。悩みながらいくつもの選択を繰り返し、たくさんの人に助けられながら、今の私になりました。夫とはいわゆる週末家族ですが、まあそんな形もあるのかな、案外うまくやっているんじゃないかな、なんて思っていますし、また開業という仕事は、かつて想像していた以上に忙しくて毎日ヘトヘトですが、赤ちゃんからご年配の方まで、たくさんの患者さんとふれあいながらスタッフとワイワイ楽しく頑張っています。

表題は研修医だった頃、先輩女医さんからのメッセージで、非常に感銘を受けた一文です。分岐点でどちらに行こうか、迷っている女医さんたち。こうならなければいけない、という正解の生き方はありません。女性にはどんな道を選んでも、しなりながら生きて、適応できる力が備わっています。誰しも自分が選んだ道をひたすらに進むしかありません。

私たちもそうやって、医師の仕事を続けるためにたくさんの人の助けを借りてやってきました。医師の道を選んだあなた方とともに歩むために、今度は私たちが助ける番です。一開業医にどれほどの助けができるのかはわかりませんが、悩み相談くらいならのれるんじゃないかなと思います。どうぞ後輩女医さんたち、しなやかに頑張ってください!

 

sidebar_map_text
sidebar_map_text04
sidebar_map_text02
sidebar_map_text03