応援メッセージ

2017.07.19

富山大学医学部整形外科准教授 川口 善治先生

“女性医師"というターミノロジー

30年前私が医学部の学生だった頃、100人の同級生の内、女性はたった11人であった。従ってスモールグループの実習は、いつもよれよれ白衣の男衆ばかりであり、たまに女性がまさに紅一点の光を放っていたように記憶している。それが今はどうだろう。女性が学年の約半数を占め、女学生だけでスモールグループを組んでいることも珍しくなくなった。以前は見向きもされなかった外科系教室にも女性が入局し、研鑽しながらキャリアを積んでいる姿は驚くというより、頼もしく感じられる今日この頃である。

そもそも“女性医師“という言い方自体が間違いなのではないかと思う。私自身医師の適正は、誠実さ、勤勉さ、優しさであると思っているが、このような人間の基本的なことに男女の区別はない。体力的には男性が優位である点があるかもしれないが、持続力は決して女性が劣っているわけではないということを実感するエピソードが多々ある。私は自分の周りの女性が仕事のことで、弱音を吐いたり愚痴を言ったりしている姿をほとんど見たことがない。いつも着実に仕事をこなしている印象が強い。一昨年からマラソンを走り始めたが、フルマラソンの記録は、ある80歳女性の記録に遠く及ばないどころか、1時間以上の差をつけられている。

最近の医師どうしのカップルは、子育もうまく分担しているようだ。医局内にも、イケメンの育Menが多い。先日も朝子供が熱を出した麻酔科の女医さんが整形外科の夫に子供を託し、麻酔が一段落した後に、子供を病児保育に連れて行き、それまで子供と一緒に過ごしていた夫は、奥さんと交代した後に手術に参加するという、ほほえましいというか頼もしい姿を見かけた。こんな光景を目の当たりにすると、「子育ては私がすべて行いました。」と時々愚痴る妻の気持ちもなんとなく理解ができ、「すまなかったかな。」と感じるような気がしてくる。

患者さんのために働きたいという気持ちは医師の誰もが持っている。そこには男女の区別はあろうはずもない。車社会が到来したばかりのかなり昔には“女性ドライバー”という語があったと聞く。しかし今は誰も“女性ドライバー”などという語は使わない。ことほど左様に“女性医師“というターミノロジーも、今後誰も使わないようになるであろう。本当の意味で、男女の医師がともに協力しながら患者のために働くという時代が来ているように思っている。

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